伯父の葬儀の時のことでした。
元地主という家系の当主であり、地元企業で定年まで勤め上げたということから、とにかく顔が広く、定年後も自分が経営するアパートやマンションで悠々自適の暮らしをしていましたが。
ガンが発覚して、あっという間に悪化、闘病僅か三か月で急逝してしまいました。
その長男Y君が喪主として葬儀を執り行うことになりましたが。
この一族、とにかく長寿が当たり前となっており、殆どが80代後半まで生きた大往生で、それまで喪主を務めるのがだいたい50代以上という年齢層だったので、40そこそこの長男Y君は、伯父の兄弟や従兄弟らの高齢者にあれもこれもと文句ばかりをつけられて、ただでさえ本人が混乱しているところにパニックを起こしそうになっていたのです。
というのも、田舎なので、古い習慣や土着的な不文律が無駄に多く、さらに、同じ市内でもちょっと場所が変わるということもやることも違う、という面倒くさいところだったのです。
現に、我が家は故人の弟の一家で、車で10分程度のところにある分家に養子に出されたという家だったのですが。
そこで経験した葬儀とも細かいところで違う事情があったのです。
神道が多い地域であり、我が家も伯父のところも神主さんによって仕切られるお葬式でしたが、その神社ごとに、やり方が違うのです。
私たちは「そういうもの」と考えて、喪主がさまざまなことを決めて進めればよい、と思っていましたが。
喪主が若くて、侮られていたのか、親戚も近所のおじいちゃんおばあちゃんも言いたい放題だったのです。
花台の数やボリュームから始まって、料理の品数や祭壇のランクに至るまで、「この家の当主であれば〇〇くらいは当たり前!」的なことを言いたい放題に言う人。
神主さんにお渡しするお布施の金額まで値踏みして勝手なことを言う人。
その一つ一つに勿体をつけてあれこれ煩いことを言われると、すでに決まったことでも再びひっくり返されて、無駄に悩むなど、お茶出しなどを手伝いながら傍で見ていて、とても気の毒なものがありました。
そんな中で、Y君が頼りにしていたのが葬儀社のスタッフさんでした。
その方はベテランの女性でした。
なんでも、業界の指標になる葬祭ディレクターという資格を持っているのだということで、宗教・宗派による細かいしきたりの違いや、時代のトレンド的なもの、地域の特性など細かいことに通じており、非常に頼りになる存在だったのです。
その人に参考意見を求めて相談し、決めた事柄は理にかなっており、殆どが納得するすっきりとしたものとなっていったのです。
とはいえ、最後までグダグダ言う年寄りはいましたが。
決定事項にはタイムリミットがあり、中盤からは悩んでいる暇もありませんでしたが。
とにかく口出しをする年寄りが多くて閉口しました。
そんな折々に、「プロは凄いなぁ」と思ったのですが、煩い人たちをねじ伏せるのではなく、その”文句”や”言いがかり”さらりと流しながら、かわしながら、きっちり提案して”あるべき形”を構築していったのです。
そこにあったのは、迷うことのない知識と、人当たりの良さ、確固たる信念でした。
故人と喪主、その最も近い家族たちが悲しむゆとりのないことが一番気の毒だったのですが。
そうした雑念を出来る限りシャットアウトしてくれたのもその人達であったと思います。
「昔はああだった」とか「○○では××なのに」などといった無駄なアドバイス(?)や意見に振り回されずに済むように、喪主に寄り添ってあれこれ心を砕いてお通夜の準備から葬儀の終了まできっちりと仕切ってくれた力量は素晴らしいお仕事ぶりであったと思います。
どのお葬式でも、揉めないことは恐らくないそうです。
えげつない揉め事から、しょうもない揉め事まで、数々のトラブルを見てきた葬祭ディレクターさんたちは、基本的な勉強だけでなく、その場のケーススタディで、どう立ち回ればトラブルを回避できるか、させられるか、ということを肌で感じて判断して動けるのだと思いました。
揉めそうになったら、とにかく葬祭ディレクターさんを頼りましょう。
しかしさらに「凄い」と思ったのは、その葬祭ディレクターさんの言葉です。
「もし、相性がよろしくないと思われた時には仰ってください。他にも優秀なものがおりますので、喪主さまがストレスなくお式を執り行えることが一番ですから!」と。
そこまで言ってくれたそのかたには、Y君は全幅の信頼を置いて、最後まで仕切りをお願いしたのは言うまでもありません。